「小さき者へ」(有島武郎)

私のような者まで鼓舞される

「小さき者へ」(有島武郎)
(「小さき者へ・生まれ出づる悩み」)
 新潮文庫

お前たちが一人前の人間に
育ち上った時、
父の書き残したものを
繰拡げて見る機会があるだろう。
その時この小さな書き物も
お前たちの眼の前に
現われ出るだろう。
お前たちの父なる私が
その時お前たちにどう映るか、
それは…。

1917年に妻・安子を結核で亡くした
作者・有島武郎が、
母を失った三人の幼い子どもたちを
勇気づけるために、
そしてその子どもたちの将来を
嘱望して書いたと考えられている
短篇作品です。

戦前までは、日本もまだまだ
出産も命がけであり、
そして結核は不治の病でした。
結核にかかると、長らく肉親、いや
最愛のわが子にも会えない状態を
余儀なくされたのです。
現代のコロナ肺炎の比ではありません。
明治・大正期の医療と
経済の未発展がもたらした不安定。
生きる・生き抜くということ自体が、
非常に難しい時代だったのです
(それに比べて現代の
なんと住みよいことか)。

わずか20頁の短編小説ながら、
一文一文が心に響いてきます。
決して器用ではない父親の姿が
描かれています。
しかし、それでいながら
確固とした強い信念を持った父親です。
そして家族に対して
熱い愛情を注いでいる父親です。
父親としての溢れるような思いを
強く感じさせられます。
最後の一行
「行け。勇んで。小さき者よ。」に、
その情愛が結晶化しています。

何度読んでも、
身の引き締まる思いがします。
五十路を過ぎ、
子どもも大きくなってしまった
私のような者の胸まで
鼓舞されてしまいます。
もしかしたら、
本作品に初めて接する方は、
あまりにも仰々しいその文体に、
気持ちが引いてしまう
可能性もあります。
しかし、人生の荒波の中で
最愛の伴侶を失い、
その中で三人の子どもたちを
育てていかなくてはならないという
状況に鑑みたとき、
本作品の気負い立ったような文章は、
決して仰々しいものなどではなく、
純粋な愛情の
素直な表出と感じるはずです。

ふと考えてみると、子どもたちに
愛情を注ぐ父親を描いた小説は、
意外に少ないのではないかと
思うのです。
作家を含めた芸術家は、
家族を顧みずに創作にいそしんだ人が
多いからなのでしょうか。
私が愛読している
太宰、芥川、谷崎等の明治の文豪、
そして現代の村上春樹らに、
この手の作品はないのではないかと
思うのです(私が読んでないだけかも
しれませんが)。

本作品はそうした意味で、
きわめて貴重な文学作品であると
考えます。
子どもに面と向かって
こうした人生論を語る勇気もなく、
かといって文章にまとめるような
文才もない私としては、
有島武郎が神々しく見えてしまいます。
中学生、高校生、そして
すべての父親に薦めたい作品です。

※学生時代から有島武郎には
 なかなか縁がありませんでした。
 有島武郎を読もう読もうと思って、
 つい太宰、つい芥川、つい村上春樹、
 最近ではつい谷崎潤一郎…。

※本作品と同じ読後感を
 覚えた作品としては、
 同表題の「小さき者へ」(重松清)と
 「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」
 (井村和清)があります。
 前者は荒れ始めた中学生の息子に
 自分の思いを正直に語る
 父親の姿を描いた小説、
 後者は二人の子どもを残して
 癌に倒れた医師の手記です。

(2020.3.13)

StockSnapによるPixabayからの画像

【青空文庫】
「小さき者へ」(有島武郎)

2件のコメント

  1. たまたま有島武郎の文化を読みました。たまたまです。読書家でもないです。中学生の頃に買ったままになっていた本を捨てる前に読もうとしただけです。ただ、表現力の豊かさ、特に妻の涙を水に喩える箇所などは、よくぞこんな表現が思いつけるものかと驚きました。ですが、そこかしこにそのような秀逸な表現が練り込まれています。感動のあまり、有島武郎と文才で検索するとここに行き着きました。同じ感想を持った方がいたようで嬉しいです。

    1. はじめまして。
      コメントありがとうございます。

      有島武郎は現在では書店では1,2冊程度しか
      著作を見ることができません。
      もっともっと再評価されてしかるべき
      明治の文人だと思います。

      本の紹介だけの地味なサイトですが、
      よろしかったら
      これからもどうぞお立ち寄りください。

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